<あらすじ>
前回の「たびてつ」は電車は使わない旅でしたけど・・・。
2002年9月初旬に会社の有給3連休の2日を使いまして、「JR東日本/東京駅」を出発し、
旅の最北端「JR北海道/木古内駅」まで出かけて参りました。
早くにこの写真たちをHPに載せたかったのですが、なかなか
さぼってしまい相当遅れてしまいました。
写真を見ていただくとわかるんですが、今となってはもう走っていない特急
「はくつる」や
「はつかり」、
青函連絡船を走っていた
「快速−海峡−」の『ドラえもん列車』写真まであります。
貴重な経験となった旅という点では、すごく心に残るものであります。
また、この旅で
『周遊きっぷ−青森・十和田ゾーン−』を使用し、東京都区内−盛岡間の
往復切符+盛岡−青森(ゾーンに入っている駅)の間の列車が乗り降り自由(特急自由席等)、
とてもお得な旅でした。
初日は、東北新幹線「こまち+やまびこ号」で「こまち号」盛岡まで自由席で、
(※注 今となっては全席指定席ですが、当時は自由席もあった)、
すいすいと盛岡駅で下車し、「スーパーはつかり」に乗り換えました。
(E751系です。今は「つがる」と名前が変わりました。)
車内の自由席は平日にもかかわらず超満員でしたが、ラッキーで座れました。
青森駅に到着してから、車体にドラえもんがプリントしてあるED79率いる、
「快速−海峡−」のお座敷20系車両で、ガタゴトガタゴトと青函連絡船で!!
トンネル内はさすが、将来新幹線も通れるように整備されていることもあり、
全然揺れなどを感じませんでした。列車内に取り付けてあった、トンネル内部の図が、
一番海底の“底”に到達し時、列車内は拍手喝采で、感動しました!!
その後、青函トンネルを抜けて、一番最初に到着をした駅「木古内駅」で下車しました。
762.4Kmを走破した瞬間でもありました。生まれて初めて“北海道”に入りました。
一度、駅の改札口を出てもう一度、入り直し、すぐ入線してきた青森行きの特急「はつかり」で
青森に戻りましたが、青函トンネルはあっという間に過ぎ去っていきました。スピードが違うから・・。
青森駅に到着後、秋田方面に行く特急「かもしか」にあいました。こういう国鉄時代からある
味な485系車両が活躍しているのを見ると自分は嬉しくなりますね。
(国鉄カラーの「はつかり」ももちろんいいけどね。)
青森駅で下車し、その後展示場になっている青函連絡船「JNR八甲田丸」に乗船。
青森の発展状態や青函連絡船が辿ってきたエピソードを見てきました。
その船内になぜか車両甲板なるものがあり、列車が格納されていました。
写真にもあるように、実車でキハ82があったり、DD16があったり、
貨物車両もありました。それから、航海甲板出て空を見上げたら、
とてもきれいな秋が近い、夕焼け空になっていました。
少し歩き、青森駅前の商店街で、銭湯につかり、食堂で夕食(ほたてバター定食)を食べました。
とても絶品!!しかも、1,000円で食べられたので大満足でした。
おみやげ屋さんでおみやげを購入してから、青森駅に向かいました。
特急「はくつる」が青森駅に入線してくるまで、2時間も駅のホームにいました。
程よい疲れで、いすに腰掛けていました。入線してきたら、そんなものは吹っ飛びましたが。
入線してきてすぐに、「はくつる」の写真を撮ろうと、先頭車両から最後車両まで走りました。
そして、B寝台の自分の席に到着して、“浴衣”に着替えてのほほんとしていました・・
発車して、今まで着た線路をずっ〜と、20系車両の中で、時刻表で確認しながら寝っ転がって
いました。当たり前ですが、ずぅ〜と“ガタゴトガタゴト”走っていました・・・。
自分自身、盛岡ぐらいまでは起きていたと思うんですが、気づいたら朝早い6時の大宮付近を
走っていました。そう!車内放送が流れました。「鉄道唱歌」のあのチャイム!!
・・・あっというまに、“雨”の上野6:39に無事到着して、この旅も無事に終わりました・・。
最後に、石川啄木の句が刻まれている歌碑がありました。
それには・・・